日米戦の帰趨は、島嶼をめぐる制空権の奪い合いですから、この時の大切な資産は、戦闘機や爆撃機の性能、装備の優劣といった「ハード」だけではな く、パイロットの技能と熟練という「ソフト」面だったはずです。パイロット育成には時間、教官、設備が必要となります。その上で、2000時間ほどの操縦 経験を積んで初めて、真珠湾攻撃時のパイロット級の腕前になっていた。
予科練の人員の採用は一挙に9倍となりますが、練習設備や宿舎の拡張は追いつかない。例えば、土浦航空隊には約2000名しか収容できない。どうやって 半年に2万名以上入って来る少年達を教育できたでしょう。結局、パイロットというよりは、特殊潜水艇や「桜花」といった特攻兵器の「乗員」にされてゆく。